あほな話

誰かが読んでくれると嬉しい話

正しいか間違っているかなんて結局最後は…

幼い時から今までずっと「正しい生き方」を
知らなかったことが分かった。育った環境が
悪いのも原因の一つで、受けた教育も決して
正しくなかった。それが普段の生活のあらゆる
場面で、不適切な感覚や発言や行動の原因に
なっていた。根本的なところで自分が何か
欠けているというか、見落としているか、
持っていないか知らないか、不安や不全感や
違和感を覚えていた。それを何とかしようと
して出会ったのは、ある種の学問とか宗教とか
セミナーとか有名になった書籍などだった。
しかし、過去のそれらは疑念を拭えなかった。
今まで関わってきた親に始まる家庭、学校、
会社、通信やメディアが作る現実から乖離した
虚構の世界を長年さまよい続けていた。
物理的現実に存在していながら、何十年も
眠り続け夢の世界で生きていた。


最近初めて、本当に必要なものに出会った
感じを覚えることがあった。
これが最初からできていた人にとっては、
わざわざ言う必要もない当たり前らしいが、
まず自分をダメなものとして否定したりせず、
理想として演出しているに過ぎない役者のような
別人になろうともせず、自分のすべてを肯定し、
否定しようのない確かな現実の上に自分の足で
立って自力で歩いていく。


それとも今まで通り、すべて「他人任せ」で
眠ったまま死ぬまで理想の夢を期待し続け
結局、悪夢を見て終わるだけの人生になるか。
それもまた、宇宙にとっては一つの在り方だろう。