あほな話

誰かが読んでくれると嬉しい話

良くなる気がしない未来

明らかに不幸な誰かと比べていかに恵まれた環境でも、
毎日の生活がつまらなくて面倒くさくてうんざりするのはなぜ?
そんな感覚を否定したり変えようとしても持続しないし
かえってますますつらくなったりする。
生きるために本当に必要なことをなぜか常に後回しにしたり、
おろそかにしてまで、本当は不必要で無駄で余計な雑用を
死ぬまで求められ、拒否することも許されないからなのか。
本当は生きているだけで良いのに、社会ではそれに加えて、
役に立つと誰かに認められる機能を持たねばならない。
それが嫌なら、社会から排除され野生動物になるしかない。
社会で求められる機能というのが、自分の限界を試される
仕事ばかりで、家事、育児、介護、人付き合い、
社会制度の難解な手続きまで全部できて当たり前とか。
しかも、自分の親が悪質だったりすると、まともな人間に
なろうとどんなに頑張っても無理だったりする。
食、排泄、睡眠という必須の時間まで急かされ制限される。
私は、生きるために本当に必要なこと以外、何もしたくない。


短時間で際限なく増える微生物と同じように人口を爆増させ、
くだらない余計な物を大量に作って余ったら大量廃棄して、
そんな人ごみ廃棄物だらけの社会に適応できなければ、
病や障害の札を付けられ望まない入院や通院させられ、
それでも無理な人たちを追い詰めてまで発展成長を追求し続ける
社会の営みをこれから先もどうやって持続可能にするのだろう。
少子化を問題にして万一まぐれで対策が効いて子供が増えれば、
もっと大変な問題が多発して、むちゃくちゃになっていきそうだ。
増えすぎた人口を減らすか少なくとも増やさないほうがよくないか?
大勢の人たちが死にたくなるのは人口が爆発しているからではないか?
自分が生きることを考えるだけでは物足りないかのように、
わざわざ他人にまで生きることを執拗に求める者がいる。
死にたい人たちに死を禁じて生きることを強いるのはなぜ?
絶対に死にたくない生きる気力満々の人だけに生きる資格がある
という考え方のほうが私は賛成だ。いやそうでなくても、
これからの時代、パンデミックどころかもっと多種の災害が多発して
もっと大勢の人たちが次々死んでいくのが自然の摂理かもしれない。
生きる気力満々だった人たちも死にたくなる時が来るかもしれない。
それで人口が減れば減るほど自然環境にとってはよさそうだ。
今の人間たちはまるで宇宙から地球を侵略し荒らしに来た異星人みたいだ。