あほな話

誰かが読んでくれると嬉しい話

死と自己の関係

LucyThunders

「死は存在しない」というタイトルの本を読んだ。

宗教でも哲学でも科学とも違うが、残念ながら、

自分の信者を作って儲けるカルト教祖のフェイクが

最も近い感じの内容だった。だからといって、

完全否定して読まないよりも好奇心が勝った。

それでも、その内容は魅力的で、この世というものが、

実在ではないシミュレーションかもしれないという、

これまた怪しいかもしれない科学者の仮説を連想する。

たとえこの本の内容が、怪しい宗教や偽科学だとしても、

他の誰かと同じように私も信じたくなる説得力ある話だった。


この本のタイトル「死は存在しない」という言葉そのままに

死者たち本人は死というものを体験しないかもしれない。

なぜなら死というものは、死者本人よりも周囲の人たちが

体験するというほうが確かな事実だから。

本人にとって死に近づいていく時間はあっても、

それも結局は生きていた時間であり、

死の瞬間以降の物事は本人にとって何も無いのだから、

一人の有限の人生が過去に確かに存在していただけだ。

死とは、死者本人にとって自己を失うに過ぎないことだ。

私というものが、ここにいるたった一人でしかないという

不思議で不可解な現実という現象が、消えてなくなる時が

いつか必ずやってきて、それが「死」と呼ばれている。


その本には、こういうことも書かれていたように思う。

「死」と「自己」には両立しないが切り離せない関係があり、

かつて生まれた自己を永遠に失う「死」という時が来て、

周囲の人たちにとって悲しい喪失になってしまうが、

死者本人にとっては、一点しかない「自己」というものに

意識が固定され、激動する周囲の世界に苦しめられ続けた

有限の時間がやっと終わることなのだ。


その時間は宇宙の中で、つかの間の一瞬の塵として

あっという間に遠ざかり見えなくなるのだろう。