あほな話

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幸福という虚無

「幸福になるために生まれてきた」という言葉がある。
私も以前は「それは良い言葉だ」と思ったし信じていた。
仮にそれが正しいと仮定して、思い通り幸福な人生を送ったとする。
よかった。はい、おしまい。そして間もなく忘れる。
それでよいこともあるだろう。それこそ望む人もいるだろう。
そう、すべてを終わりにしたいから。
今まであったことすべてを捨てて忘れたいから。
自分の人生丸ごと全部無かったことにしたいから。


人生の本当の目標は「虚無」かもしれない。
本当は「虚無」になるために生まれてきたかもしれない。
いつか必ず絶対に寿命が尽きて死んでしまうのに、
わざわざ生まれてくる理由は、何かを「無」にしたい、
消したい、無かったことにしたいからではないか?
このままでは消えない永遠に残る、それがどうしても
許せない何かを消すためには、
わざわざ「仮想現実」のようなこの世に生まれてきて、
存在し続けることがどうしても許せないその何かを、
仮想現実でしか実現しない物理法則に反する方法で、
自然の摂理に逆らってまで自分の人生をかけて消し去る。
もし、それが人生の本当の目的なら、幸福は手段のほうだ。


いや、やはり、そうではなく
最後だけ幸福でもよくて、それこそが本当の目標だったら、
それまでの過程でずっと続いてしまった間違いや失敗を、
最終結果につながった必要な道だったと決めつけて
肯定することになる。もしかして、
否定し続ける限り終わらないものを終わらせるために
肯定することが目的かもしれない。