あほな話

誰かが読んでくれると嬉しい話

他人に対する怒りの正体と周囲の決めつけ

誰かと同じように私は、幼い子供や幼稚な大人に対する
嫌悪感が他人より強いのではないかと思うことがある。
他人に対して必要以上に腹が立つのは何が原因なのか。
自分には絶対に許されないことを、自分と似ているその他人が
なぜか許されている事実を目撃し、嫉妬するのかもしれない。
怒りを覚えたり出している人は、その怒りの対象が
本人に似ていたり共通点があったりする。


どちらが加害者で被害者なのか未定だった時点で、
事後に加害者になる者が被害者になる者に対して当時、
加害者が異常に強い怒りを向けていた被害者の姿は、
加害者にとって絶対に許されない自由や権利みたいなものを、
被害者は当然の自由や権利として許されているように
少なくとも見えるし、実際そうだったりする。
それ以前に、加害者が被害者に対して加害した動機は、
本当は両者とは関係ないのに、加害者が昔から背負ってきた
天敵に対する怒りが、被害者によって誘発されたのではないか。


ところが、自分のことを堂々と被害者だと称する人たちは、
周囲の人たちに自分が被害者だと宣言したその瞬間に、
その被害者という言葉は怪しい偽物みたいな色を帯びて
何も知らない人たちの目に見えてしまうことがある。
しかも、それはあながち間違っていなかったりする。
その理由は、
「怒り」というものを外に出して表してしまったほうに、
「加害者」の最たる特徴が見て取れるからではないか。
そして、周囲の人たちは、そういった外見の特徴だけで
どちらが、なぜか完全に正しいとか悪いとか決めつけて、
自分に都合よい反応をして片づけてしまう。
実は両者それぞれに加害的部分と被害的部分があるにもかかわらず。


ただ似ているなど一つの単純な外見を根拠とし、
衝動によって反応することしかできないし、
仲間に対して誤解するのが当たり前の動物の一種、
そんなヒトという種が地球の知的生命だと名乗っている。